from 一心塾 ー 心身教育研究所 ー

カウンセリング、フォーカシング、仏教、ヨーガ

2020-01-01から1年間の記事一覧

日常会話の中のギフト <一心塾だより 第47号>

「ロジャーズのカウンセリングを学んだ後、妻の話を伝え返しながら聴いたら激怒されましたよ」。私をこの道に導いてくださった恩師が、笑いながらそうおっしゃるので、つられて私も笑いましたが、これはたいへん大きな課題だなあと感じたものです。 カウンセ…

リスナー考Ⅱー 体験的理解について ー <一心塾だより 第46号>

「体験的理解」という言葉は、2012年に日本仏教心理学会誌に「体験的理解による『甘え』の超越」という論文を発表したときに初めて使いました。この論文は、私のホームページの論文のページ(https://www.sinsined.com/paper)から読むことができます。 この…

「世間」と「甘え」 ( 一心塾だより 第45号)

『同調圧力 ー日本社会はなぜ息苦しいのかー』(鴻上尚史・佐藤直樹著)を読み終わって頭が忙しくなっているので、この場を借りて整理してみたくなりました。この本で徹底的に語られる「世間」というものに、「甘え」の問題が絡んでいると思えるからです。 …

リスナー考 -核心に迫ること- (一心塾だより 第44号)

フォーカシング・サンガではグループの中で皆が見守る中、リスナーとフォーカサーをやらなければならないのですが、特にリスナーに立候補するのは大変勇気がいることと思います。 リスナーをする上で、フォーカシングの流れが頭の中に入っていることは非常に…

考えることの是非 (一心塾だより 第43号)

コロナ禍でお休みが続いていますが、哲学カフェを2年ほど島根大学の川瀬先生(現在は神戸女学院大学教授)と一緒に開催していました。 「なぜ人はウソをつくのか」とか「<お金>ってなんだろう」とか、わかっているようで実はよくわかっていないテーマにつ…

父性を考える <一心塾だより 第42号>

『こころの天気を感じてごらん』の第2部「甘え論」を書いているときに、父性について考えていました。甘えが母性に関係が深いことはわかっていましたから、では父性とはなんだろうというわけです。 甘えは一体化を求める心です。言葉で言わなくてもなんでも…

フェルトセンスの出現を待つ <一心塾だより 第41号>

コロナ巣ごもりも終わりが見えて来ましたね。油断は禁物ですが、ちょっと出掛けて気分転換したいところです。 ところで、出かけようと思ったとき、どの服を着ていこうかと迷うことがあると思います。ここできちんとフォーカシングするなら、きっと適度に自己…

脳の刺激減少中 <一心塾だより 第40号>

4月半ばから松江市内の公民館が休館になっているので、私のマインドフルネス・ヨーガ教室も休講中です。32年やって来て、こんなに長く教室をやらないのは初めてのことです。しかし教室がないと、なかなか本格的にはヨーガができないものですね。家でパソコン…

ZOOMの時代到来 <一心塾だより 第39号>

大事な人を死に至らしめ、様々な生産活動をストップさせている新型コロナウイルスですが、この環境の変化は我々に新たな展開をもたらしています。 ジェンドリンは哲学的主著『プロセスモデル』において、カブトムシの足が一本折れたなら、新しい歩き方をすぐ…

批評家 <一心塾だより 第37号>

フォーカシングはうまくできない、自分には向いていないと思っている人は、「批評家」に悩まされている場合が多いと思います。 批評家とは、常に自分の頭の中に存在して、自分を批判する声です。「どうせお前にはできっこない」、「なんてダメな人間なんだ」…

被害感情 <一心塾だより 第38号>

前回書きました「批評家」については、反響がいつも以上にあり、改めて批評家に悩まされている人は多いものだなと思いました。また、反響の中に「被害感情について知りたい」というコメントがありましたので、今日はそれについて考えてみたいと思います。 被…

四つの聖なる真理 (一心塾だより第36号)

明けましておめでとうございます。今年も一心塾だよりをよろしくお願い申し上げます。 四つの聖なる真理 年末からディビッド・ブレイジャー氏の『フィーリング・ブッダ』(藤田一照訳)を読んでいます。仏陀が最初に説法した四聖諦(ししょうたい)について…