from 一心塾 ー 心身教育研究所 ー

カウンセリング、フォーカシング、仏教、ヨーガ

四つの聖なる真理 (一心塾だより第36号)

明けましておめでとうございます。今年も一心塾だよりをよろしくお願い申し上げます。

 
四つの聖なる真理
 
 年末からディビッド・ブレイジャー氏の『フィーリング・ブッダ(藤田一照訳)を読んでいます。仏陀が最初に説法した四聖諦(ししょうたい)について、従来の経典解釈に囚われることなく、臨床心理学的視点から解き明かされていて、非常に説得力があります。そしてその内容は、フォーカシングと驚くほどの共通点があります。
 四聖諦は文字通り4つの聖なる真理です。その第一は苦聖諦。よく言われる生老病死や、離別の苦しみ、嫌なものと出会う苦しみなどにとどまらず、苦とは、私たちにやってくる刺激の全てです。前回の一心塾だよりの五蘊の説明では「受」に当たります。仏陀はこれを敢えて「聖なる真理」と見ました。苦(受)があるから悟りがあるのです。フォーカシングに置き換えてみれば、苦とはフェルトセンスです。フェルトセンスがあるから私たちは環境に対応していくことができます。苦こそが聖諦の第一であると、繰り返し自分に染み込ませていくことで、仏陀の思いに私たちは近づくことができるはずです。
 苦に対して私たちは必ず反応します。それが第二の聖なる真理「苦集聖諦」です。嫌なことがあって、苦を体験すると、心の中で自分を責めたり、相手や社会を責めるという反応を私たちはしていますし、時には言葉や行動で示すこともあります。五蘊の「想」に当たります。そして「想」を野放しにすると、「行」→「識」と発展して、いよいよ苦が苦悩として感じられるようになってくるのです。
 苦に対するこうした反応も、仏陀は「聖なる真理」と見ます。それはとても人間的なことだからではないでしょうか。愚かで、過ちばかり犯すのが私たち人間ですが、そいういうところもひっくるめて聖なる存在であると見る。それが仏陀の信念なのだと思います。禅で「煩悩即菩提」(煩悩=悟り)といいますが、第二聖諦をよく表した言葉だと思います。そして本当の慈悲と、本当のポジティブ思考がここにあります。
 第三は「苦滅聖諦」です。不思議なことに、愚かで過ちばかりで情けない私たちを「聖なる存在」と見るときに、変化が起こってきます。大きく捉えるときに、中で起こっている反応は制御されていくものなのです。
 「滅」という言い方は、サンスクリット語の「ニローダ」から来ていますが、従来は「止滅」と訳され、これが仏教ともヨーガにも大きな誤解をもたらす原因となっています。つまり、苦も、苦に対する反応も、すっかり無くなってしまうのが仏教やヨーガの目指すところ、と解釈されてきたのです。それはあり得ないことです。あり得ないことを目指して、多くの修行者が無駄に苦しんできたのです。ブレイジャー氏は「ニローダ」を、壁で囲んで中の反応を制御すること、と解釈することで、仏陀の真意を掘り起こすことに成功しました。
 そして、カウンセリングやフォーカシングはまさに苦滅聖諦です。リスナーが居ることが、反応を大きく捉え囲むことに相当します。一人で行うなら、座禅のような不動の姿勢を取ることが極めて重要です。この姿勢が、囲みに相当するからです。ヨーガによって、インナーマッスルを鍛え、正しい姿勢が取れるように練習しましょう。
 第四は「苦滅道聖諦」です。いわゆる八正道です。正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定の八つです。これは読んで字の如し。正命とは無駄に生き物を殺さないこと、正念とはマインドフルネスのこと、正定とは正しい姿勢で座ることです。八正道は知る人も多いですが、第一、第二、第三聖諦を知らなければ、形だけのものになってしまいます。