from 一心塾 ー 心身教育研究所 ー

カウンセリング、フォーカシング、仏教、ヨーガ

体験過程尺度について

 リスナーをする上でも、日常で人の話を聴く際にも、以下の「体験過程尺度」*を知っておいて、それに当てはめながら話を聴く習慣をつけると、フォーカシングの理解やリスニングの上達に役に立つと思います。

<出来事中心の段階>

1,(体験過程尺度が非常に低い)出来事を語っているが、気持ちの表現は見られない。
2,(低い)出来事を語る中に気持ちの表現があるが、気持ちは出来事への反応として語られている。

<気持ち中心の段階>

3,(中程度)出来事への反応としてではなく、自分のあり方を表明するように気持ちが語られている。豊かな気持ちの表現が見られるが、そこから気持ちを吟味したり、状況との関連付けなどを試みたりはしない。

<創造過程の段階>

4,(高い)気持ちを語りながら、その気持を自己吟味したり、仮設を立てて気持ちを理解しようとしている。話し方には沈黙が見られることが多い。
5,(非常に高い)ひらめきを得たように、気持ちの側面が理解される。声が大きくなる。何かを確信しているような話し方に変化することがある。

 1~2辺りの話し方をしている人に対しては、「それで、それについてあなたはどう思うの?」と問えば3に行くでしょうし、3の段階のときに「どうしてそう思うんだろう?」と問えば4に行くでしょう。もしこれらの問いに、相手が即答するようであれば、「本当にそれでピッタリかなあ」と問うてみるのも良いでしょう。セルフ・フォーカシングにおいても同様に自分に問うてみたら良いと思います。

*三宅麻希、池見陽、田村隆一(2007)「5段階体験過程スケール評定マニュアル作成の試み」人間性心理学研究25-2

一心塾だより 第22号

体験過程尺度について
 
 リスナーをする上でも、日常で人の話を聴く際にも、以下の「体験過程尺度」*を知っておいて、それに当てはめながら話を聴く習慣をつけると、フォーカシングの理解やリスニングの上達に役に立つと思います。
 
<出来事中心の段階>
1,(体験過程尺度が非常に低い)出来事を語っているが、気持ちの表現は見られない。
2,(低い)出来事を語る中に気持ちの表現があるが、気持ちは出来事への反応として語られている。
 
<気持ち中心の段階>
3,(中程度)出来事への反応としてではなく、自分のあり方を表明するように気持ちが語られている。豊かな気持ちの表現が見られるが、そこから気持ちを吟味したり、状況との関連付けなどを試みたりはしない。
 
<創造過程の段階>
4,(高い)気持ちを語りながら、その気持を自己吟味したり、仮設を立てて気持ちを理解しようとしている。話し方には沈黙が見られることが多い。
5,(非常に高い)ひらめきを得たように、気持ちの側面が理解される。声が大きくなる。何かを確信しているような話し方に変化することがある。
 
 1~2辺りの話し方をしている人に対しては、「それで、それについてあなたはどう思うの?」と問えば3に行くでしょうし、3の段階のときに「どうしてそう思うんだろう?」と問えば4に行くでしょう。もしこれらの問いに、相手が即答するようであれば、「本当にそれでピッタリかなあ」と問うてみるのも良いでしょう。セルフ・フォーカシングにおいても同様に自分に問うてみたら良いと思います。
 
*三宅麻希、池見陽、田村隆一(2007)「5段階体験過程スケール評定マニュアル作成の試み」人間性心理学研究25-2

一心塾だより 第21号

 フォーカシングのリスニングはなかなか難しいものです。
 同じくらいにフォーカサーであることも、一筋縄では行きません。だからリスニングは難しいともいえます。
 聞いてもらいたいことはあるけど、フェルトセンスははっきりしない。そういうことの方が多いのではないでしょうか。
 話し始めているうちに、一番中心の想いに至ることができれば、そこでフェルトセンスを尋ねると良いのですが、多くの場合、話の焦点に迫っていく途中の段階でフェルトセンスを確かめようとするので、フォーカサーの方もうまく焦点化できないようです。
 リスナーは、話を聴きながら、この話の焦点はどこなのか、見当をつけながら聴く力が求められます。
 ところで、フォーカシングを広める上で重要なのは、良きリスナーを育てることよりも、良きフォーカサーを育てることではないかと最近よく思います。
 リスナーに付き合ってもらってフォーカシングする機会はそう多くないと思います。もしセルフ・フォーカシングができれば、毎日でもフォーカシングできます。
 ぜひ自分自身と向き合う時間を日々持ってください。こころの天気を描いたり、瞑想したり、お風呂にゆっくり浸かっているときもセルフ・フォーカシングの時間になりえます。セルフ・フォーカシングのネタは無限にあります。例えば、今日あの場での自分のあり様について振り返ってみると、何らかのフェルトセンスは感じられるはずです。
 セルフフォーカシングに成功するには、ぴったり言葉を考えるのが有効だと思います。ぴったり言葉は、「ネガティブではない、ポジティブすぎない、具体的な行動が見える」という特徴を持っています。
 ジェンドリンの考案したフォーカシングの6ステップを、セルフ・フォーカシングで追っていくのは、なかなか集中力が続きません。しかし、ぴったり言葉を考えるぶんには、考え出した言葉がぴったりかどうかをフェルトセンスに照合するだけなので、割とやりやすいのではないかと思います。

一心塾だより 第20号

 5月のフォーカシング・サンガの折に島根大学の川瀬雅也先生に参加していただき、後半を哲学カフェという設定しにして、「差別」について皆で考えました。
 先生の巧みなリードで徐々に皆の考えが深まっていき、最終的に僕の中に出てきた差別というテーマについてのぴったり言葉は「システムを開く」でした。
 一つのテーマについて皆で考えるとき、皆で深まり、一人ひとりの中でフェルトセンスにシフトが生じて「ぴったり言葉」が生まれるのではないかと思います。とても素敵な瞬間です。ジェンドリンが開発した体験的に論理を深める方法「TAE(thinking at edge)」に通じるものがあると思います。
 そこで、フォーカシング・サンガとは別に、「哲学カフェ」を川瀬先生と共催という形で毎月開催していくことになりました。初回は7月14日(土)です。詳しくはイベント欄をご覧ください。

一心塾だより 第19号

生きる意味と心理主義
 
  「心理主義」という言葉があります。「心」というものがあって、それがうまく機能していないからいろいろ症状が出るのだという考え方で、精神分析を始め、多くの精神療法がこの考え方に則っています。
 しかしこの考え方には落とし穴があります。心のことを考えすぎると、心が不調になって来るのです。睡眠のことを考えだしたら眠れなくなっちゃったというのと同じです。『夜と霧』の著者で精神医学者のヴィクトール・フランクルがこのことを強調していました。
 フランクルは、生きる意味を見出すことによって心が健康になることを見出し、「ロゴセラピー」を創始しました。「心」にこだわるより、前向きになれることに向き合っていれば、勇気も力も出てきます。また、今直面しているいろいろな問題にも、きっと生きる上での意味があると捉えるようにすれば、何か感じが変わるのではないでしょうか。
 ところでフォーカシングは心理主義でしょうか。心の“中”に何か隠れたフェルトセンスを探し出そうとすれば心理主義に陥るかも知れません。ジェンドリンは、フェルトセンスは私たちとあらゆる事柄の“間”にあると言っています。そしてフォーカシングはその事柄が私たちに与えている暗黙の意味をひもといてくれます。ロゴセラピーとフォーカシングは良いコンビだと思います。

一心塾だより 第18号

社会問題フォーカシング

 
 ロジャーズはエンカウンターグループで差別や民族間の対立の問題に一石を投じようとしてノーベル平和賞の候補に上がったと言われています。ジェンドリンもまた、社会問題に関心を持っていました。一人の人間の一つの悩みは一つの社会問題と密接にリンクしています。一つの悩みが一人の人間の中けで完全に解決することはないでしょうが、社会に発信しようとするのもハードルが高い感じです。でもフォーカシング・サンガというグループの中で、一人の参加者の悩みや問題意識を皆で傾聴し、体験的に理解していくことは、すでに小さく社会に発信したことではないでしょうか。しかもとても安全に!
 数名の人に理解してもらうけでも、社会問題にリンクした悩みはなにか新しい視点が開けるように思います。心理的な解決というのは法律的な解決や経済的な解決とは違いますが、より豊かなものではないでしょうか。そこにもう一つ、哲学が加わったら?
 次回、5月12日に松江で行うフォーカシング・サンガには島根大学から哲学がご専門の川瀬雅也先生(教育学部共生社会教育講座准教授)にお越しいたき、サンガの後半をリードして頂く予定です。どんなことになるのでしょうね。

一心塾だより 第17号

フォーカシング健康法

 
 3月18日に1回中四国フォーカシングセミナーが岡山市で開催され、福岡の森川友子先生のご指導で、フォーカシング健康法について体験的に学びました。一心より講読者の方も多く参加されました。ドイツ辺りでは医者がフォーカシングを用いて体の不調の治療にあたっているというお話もあり、びっくりしましたし羨ましくも思いました。私たちはもっと自然治癒力を信じてよいし、症状との向き合い方において柔軟であるべきなのでしょう。向き合い方の一つとしてフォーカシングを活かせるようになったら、それはとても素晴らしいことと、今回のワークショップで強く感じました。
 フェルトセンスと身体症状は別物であるとジェンドリン先生が述べていたので、フォーカシングが身体症状に適用されることは、何となくなされて来なかったという面はあります。しかしやってみたら案外効いたという実例が数々あったことも事実で、今後はフォーカシングの守備範囲が広がっていくことでしょう。
 フォーカシングを身体症状に適用する方法ですが、森川先生からいたいた資料を参考にちょっと解説しましょう。
① まず楽な姿勢を取ります。立っても座ってもOKです(立ってやるのも意外に良いものと今回はじめて体験しました)。症状のある場所にそっと注意を向けていきます。
②「痛い」とか「かゆい」とか普段のラベルを取り去って、そこにある感覚を探してみます。色、材質、音、大きさ、温度などで表現するとしたらどうでしょうか。例えば、「石のようで、表面はつるつる、ソフトボールくらいの大きさで楕円形、白っぽく、ちょっと熱っぽい」などです。このように表現できればそれはもう完全にフェルトセンスです。
③ その場所に対して何かプレゼントします。例えば、「ご苦労さま」という言葉ったり、フ~と息を送り込んり、やさしく触れてあげたり、楽な姿勢になってあげたりといったことです。何をプレゼントしたときにそこは一番良い感じになったでしょうか
④ その場所に対して「好きなようにして良いんよ」と伝えてあげます。その場所は「叫びたい」かもしれませんし、「休憩したい」のかもしれません。その場所の「わがまま」を可能な限り実現してあげてくさい。
⑤ 最後にしておきたいことはあるかな、と自分自身やその場所に尋ね、過ごしたいように過ごしてから徐々に通常の意識に戻ります。
 そういえば私は、②のフェルトセンス化のところを省略した方法で普段自分の体と付き合ってきたなあ、と気づかされます。プレゼントはヨーガのポーズであることが多いですが、昼寝をすることや、今食べたいものを食べることであったりもします。きっと誰でもある程度やっていることでしょうね。その延長上に、規則正しい生活、程度な運動と良質な食事があって、それらは全部心身に対するプレゼントなのと思います。フェルトセンス化の過程を加えることで、さらに繊細なプレゼントができそうです。「痛い」「かゆい」など、ついいつものラベルを貼って症状と付き合っていることが多いですが、そこを白紙に戻して取り組むことはとても意義深いと思います。またリスナーに聴いてもらいながら行えば注意散漫にならずにきちんと行えるでしょう。
 2回の中四国フォーカシングセミナーは11月に徳島の笹田先生を松江にお招きして行うことになりそうです。またご案内させてくさい。