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from 一心塾 ー 心身教育研究所 ー

カウンセリング、フォーカシング、仏教、ヨーガ

フェルトセンスは「空」・・その3(縁起)

 「フェルトセンス=空(くう)」とするためには、仏教側から空について解説する必要がある。

 空とは実体がないということ。諸条件が織り成されることで現象として何かが現れたりもするが、条件が変わればまた消滅する。まさに空(そら)に浮かぶ雲のごとしである。あらゆるものが雲のように、実体があるように見えて実はただ縁によって成っている。だから空とは、実体がないということのみを意味しているのではなく、私たちが“実体”と認識しているものはすべて縁起によっていることを意味している。

 そして私たちが“実体”と認識しているものには物質的なものと心理的なものがあることを仏教では強調している。

 例えば「私の中には怒りがある」というとき、その人は怒りを実体のように感じている。そして怒りにその人自身が振り回されているのだとしたら、まさにその人にとって怒りは“実体”であろう。また「何となく喉に詰まったよう感じがある」というときはどうだろう。そう、フェルトセンスである。これもなかなか消えてくれず、喋るのに不自由を感じたりするのであれば、やはり“実体”と感じられるだろう。

 こうした心理的な“実体”が実は縁起によっているということは理解しやすいだろう。だから「心理的な“実体”=空」であり、「フェルトセンス=空」である。

 しかしフェルトセンスの理解についてもう少し述べなければならないことがある。また次回で。