from 一心塾 ー 心身教育研究所 ー

カウンセリング、フォーカシング、仏教、ヨーガ

「向き合う」ということ

 ヨーガのアーサナ(ポーズ)を行うときに、「一番刺激のあるところに集中します」と指導してたのだが、今日から「一番刺激のあるところに向き合います」と、言い方を改めることにした。

 「意識を向ける」という意味では両者は同じことなのだが、「集中」の対象がどちらかというと事柄やモノであるのに対して、「向き合う」対象は人、生きもの、事柄になるだろう。アーサナの最中は刺激を生じている筋肉に意識を向けているが、筋肉をモノと捉えれば「集中」で良いだろう。しかしアーサナの目的は筋肉の状態をより良く変化させることである。どちらかといえば筋肉を「生きもの」として捉えて、その意向を探りながら丁寧に対応していくことが求められる。ならば「向き合う」という言葉を使ったほうがしっくりくる。

 向き合うことによって、何かの変化が生じる。生きているもの同士が向き合うのだから、そこには何らかの相互作用がある。こちらが相手をどうにかしてやろうという意図を持っていれば、相手はきっと抵抗するだろう。こちらが聴く姿勢を持てば、相手は心を開くだろう。

 アーサナのときは筋肉または身体という生きものに耳を傾けるのである。

 同様に瞑想のときは、心という生きものに向き合う。こちらはだいぶん手強い。しかし時間を掛けてゆっくりと、ただゆったり向き合うのが良いだろう。お互いが心を開くのが良いだろう。そして何年も瞑想を続けているうちに、私たちは心と仲良くできるようになる。

 考えてみれば、カウンセリングもそのように向き合うことである。それ以外の何者でもないのかもしれない。