from 一心塾 ー 心身教育研究所 ー

カウンセリング、フォーカシング、仏教、ヨーガ

さり気ないやさしさ

「立ってる者は親でも使え」と言うことわざがあります。「悪いけど、それ取ってくれない?」と、「悪いけど」という言葉でも頭につけてくれれば、一応こちらの人格を尊重してくれているのだなと思って、快く応じられますが、命令調に言われると腹が立ちます。

 世の中には他人を道具みたいにしか思っていない、自分勝手な人がいるものです。例えば自分が腹が立っていれば人をストレス発散の道具とするとか、お金がなければ人の財布を自分のATMみたいに思うとか。損得感情や上下意識しかなくて、人を大事にするなんて発想は、冗談の中にしかないのです。そういう人に人権の大切さを説いても、たぶんあまりピンとは来ないのではないでしょうか。

 他人を道具にしか思わない人というのは、心を大事に扱われた体験が足りないのだと思います。その結果心の守りが脆弱で、攻撃的にしか人に関われないのではないでしょうか。

 そのような人と接するときは、道具のように扱われたときに不快感を述べるのが良いと思います。人には感情があるということ、誰だって大切にされたいと望んでいるということを何度でも伝える必要があります。

 もちろんそのような人も自身も大事にされたいと心の底から望んでいます。ところが大事にすると、こちらを利用しようとしてきますので迂闊にはやさしくできません。

 ポイントは「さり気なさ」ではないでしょうか。大事にされていると気づかれないくらいのさり気ないやさしさが効果的だと思います。これは誰に対しても効果的です。

 実際、私たちはいつでもさり気ないやさしさに包まれています。それは失って初めて存在に気づくようなさり気なさで周囲に存在しています。失う前に気づくべきです。気づいて感謝していれば、ずっと幸せでいられることでしょう。