from 一心塾 ー 心身教育研究所 ー

カウンセリング、フォーカシング、仏教、ヨーガ

創作について思うこと

 「こころの天気描画法」を学校などでよく行うものですから、私は多くの子どもの描画に触れてきました。絵というものは、今のその人の心の状態がほんとうによく表れるものだと思います。子どもたちがお絵かきをとても好むのは、表現したいという純粋な欲求からなのだと思います。そんな欲求から描かれた絵は、ほんとうに気持ちがよく伝わります。おそらく表現したいというより、伝えたいのではないでしょうか。だとしたら私たち大人は、子どもの絵から、丁寧にそのメッセージを受け取る必要があります。

 もし大人が「上手・下手」という視点から絵を見れば、作者の気持ちは見えなくなります。評価的な見方と気持ちを受け取るということは、真反対のことなのです。でも子どもを含めて私たちは「上手く」描きたいと思います。なぜでしょうか。もし「評価を得たい」という思いから上手く描こうとするなら、そこにはあまり気持ちは表現されないかもしれません。私からすると、それは悲しいことです。私自身がこころの天気を描くときに、いつもくやしく思うのは、もっと技術があれば、この辺の微妙な気持ちをもっと巧みに表現できるのに、ということです。そういう意味で上手く描きたいのです。私たちが表現の技術を向上させたいのは、気持ちを正確に伝えたいという人間の本能的な欲求からなのだと思います。

 不思議なことに、気持ちを上手く伝えられると、元々の気持ちは変化してすっきりします。これはもちろん絵に限りません。例えば誰かにプレゼントする、感謝を伝える、怒りを伝える、お手伝いをする。そんなことも気持ちを伝える表現です。今の気持ちをぴったり表現できるほどに、そしてそれがきちんと伝わることで、気持ちは驚くほど変化します。人間はそのように変化していきます。

 ある程度気持ちが落ち着いて、特に表現したいことも無くなってくると、私たちは平穏な生活を好むようになります。でも、ここからギアチェンジして大人としての表現を模索していかなければ、私たちはただ娯楽を求めて、迷惑な世間や嫌な社会情勢に眉をひそめるだけの存在になってしまいます。

 もし自分の問題が片付いたならば、家族や身近な他者、世間、あるいは広く世界の人たちの苦しみに耳を傾けることで、表現したいことはきっと見つかるはずです。どこかのNPOに所属して、誰か(何か)を救うための活動を始めるのも一つの表現ではありますが、誰か(何か)を思って絵を描くこと、歌をうたうこと、文章を書くこと、寄付をすること、話し合いをすることなどもまた表現です。創作は、そのように際限がないものだと私は思うのです。