一心塾だより 第8号
自己肯定感について
対人恐怖というのは日本人に特有の症状であることをご存知でしょ うか。また最近の国の調査によると、「自分のことが好き」と答え る日本の若者は45%、他国は約80%と著しく日本の若者が低い 結果になっています。この二つのことは恐らく関連があるのだと思 います。一つの要因として考えられるのは「お・も・て・な・し」 で有名になった日本人の察する能力の高さです。
もし自分のことが嫌いであれば「人は自分ことを嫌っているだろう 」と勝手に察し、ますます自分を嫌いになるという悪循環に陥るの ではないでしょうか。また自信なさそうにしていることが傍目に「 いい人」に映るという日本的謙遜の美徳も「自分のことが好き」 と胸を張って言えない文化を作り出しているのではないかと思いま す。ですから自分のことを好きと答える人が少ないからといって、 それを単純に問題視できない気もします。
自分のことを好きになるにはどうしたら良いか問うた場合、出て来 る答えの多くは「得意な分野を伸ばして周囲に認められる」です。 しかし「何かができる」ことと自己肯定感は別物と考えたほうがよ いと私は思います。いろいろできる力や技術があっても自分を嫌い という人が多く存在するからです。
私はこう考えます。自分のことを好きかどうかは、何かの理由によ るものではなくて、理由も条件もなくただ好きであるということが 本質なのだと。その本質の上にさらに何かができるとか、容姿がい いとかそういった条件が加わるとさらに肯定感が高まるとは思いま すが、それらは本質とは言えません。ではどうしたら無条件に自分 を好きでいられるのか。それはフォーカシングが鍵を握ると思いま す。「自分」と思ったときにどんな感じ(フェルトセンス) があるでしょうか。もし受容し難い感じであるなら、 そのフェルトセンスと適度な距離を取りながらいい付き合い方を模 索します。「いい付き合い方をする」、それは対象が自分であれ他 者であれ物であれ症状であれ、全てに通じる目指すべき方向性です 。対象そのものとの付き合い方は難しくても、対象から醸し出され るフェルトセンスとの付き合いはちょっとしたコツ(それが「 フォーカシング」です)を掴めばそう難しいものではありません。 そしてフェルトセンスと付き合えれば、実際の対象との付き合いも うまくいくようになるのです。
多くの場合フォーカシングによって上手く付き合えるようになった 対象は、好きとか嫌いという対象ではなくなり、あっても邪魔にな らない、あるいは空気のような存在になっていきます。「自分」と いう対象も好きとか嫌いというより、空気のようであれば一番生き やすいのではないでしょうか。それは仏教で言う「無我」 に通じることでしょう。