フルーツイメージ法
「桃イメージ法」という、トラウマケアの方法をフォーカシングにもとづいて開発したのだが、これは僕が「心は桃のようなもの」という詩を作ったのがきっかけ。でもあれから色んな人に、「心を果物にたとえたら何?」と尋ねたら、「みかん」「りんご」「いちご」といろんな答えが返ってきた。中には「栗(イガイガの)」とか「ぶどう」とか言う人もいて、この問いかけは相当おもしろいと思う。だから今は「フルーツイメージ法」と名前を変えている。
で、肝心なのは、「あなたの心の果物は、今どんな状態?」と尋ねること。
トラウマはなかなか面と向き合うことが難しいのだけれど、果物の一部が傷んだような状態としてイメージするぶんには、割りと容易に向き合える。そして、
「本物の果物は、いったん傷んだらもとに戻らないけど、心の果物は、また元のピカピカの状態に戻ります。どうしてあげたらいいと思いますか。たとえば、手で暖めるとか、綿で包むとか。」と問うと、いろいろアイデアが出てくる。どうしようもないと思っていたトラウマが、扱い可能なもの、つまり自己コントロールできるものなのだという体験がとても大事だ。
そもそもトラウマは、心の中で時空間を超えて存在してしまう。よくわからないきっかけで、生々しく何年も前のことが甦って自分を萎縮させてしまうのだから。日にち薬が効かないのである。それが果物という馴染み深いもののなかの”傷み”として位置づけられることで、日にち薬が効くキズになるのである。
心は桃のようなもの
心は桃のようなもの
皮は薄く実は柔らかい
大切にていねいに扱わないと
茶色く腐ってもてあます
やさしく扱う人にだけ
甘いその実を差し上げる
(2001年)