from 一心塾 ー 心身教育研究所 ー

カウンセリング、フォーカシング、仏教、ヨーガ

フェルトセンスと体験過程 (一心塾だより 第27号)

 「よくわからないけど、何だかモヤモヤするような感じが胸の奥の方にある」というように、フェルトセンスがすでに感じられているとき、フォーカシングの手順としては、それがどんな事柄と関連したフェルトセンスなのか問いかけたり探ったりしてみます。また、そのモヤモヤの位置や大きさ、形、色、材質などを確認していき、取り扱いやすい一塊になってきたら、それが何を自分に伝えようとしているのかを、フェルトセンスの立場に立って推察してみます。そのようにして、そのフェルトセンスとの良い付き合い方ができるようになれば、からだ全体がいい感じになります。

 私たちのからだは常に何かを感じています。この「感じ」、別の言い方では「今体験していること」のことを「体験過程」とフォーカシングでは言います。

 体験過程を、例えば億万のプランクトンが漂う海のようなものとイメージしてみましょう。暑さが続いて海の環境が少し変化し、一部のプランクトンが死にかかって海が変色しています。ちょっと様子が変だとある女性が気づいて、海に声をかけたら、瀕死のプランクトンが集まってフェルトセンスが形成されました。彼女が「どうして欲しいの?」とフェルトセンスに尋ねたら、「冷やしてほしい」と訴えているような気がしました。彼女が大きな氷で海を冷やすと、海は元の輝く青さを取り戻しました。

 フェルトセンスは、体験過程に意識を向け「最近どう?」と声をかけ、いろいろ話を聴くことでようやく形成されます。常にからだのどこかに存在しているわけではないのです。一方、体験過程は私たちの存在の基本です。自分と関係しているあらゆる対象に反応して、暗黙の意味を宿しています。体験過程は敢えて言えば神のような存在ですが、フェルトセンスは体験過程から生まれた子どものような存在で、駄々をこねたり、拗ねたりして甘えています。

 日頃からセルフ・フォーカシングなどで体験過程と向き合っている人は、フェルトセンスを経由しなくても、体験過程の暗黙の意味から言語的に意味を抽出できるのではないかと私は考えています。あるいは体験過程をフェルトセンスではなくイメージや絵、物語などに一旦置き換えてから意味を見出すことも可能でしょう。

 ですからフォーカシングにおいて大事なのは、フェルトセンスを見つけることではなく、何かについて、なんでも良いのですが、体験過程尺度が深まるように話すこと、自己探求することであり、相手の体験過程尺度が深まるような聴き方、応答の仕方をすることであると言えるでしょう。