変化を求める教育と、自発的変化を促すカウンセリング
私が力を入れて行っているフォーカシング・サンガでは、安全・安心ルールというものがあって、「守秘義務」、「どんな気持ちも尊重する」、「変化を求めない(心が自発的に拓ける過程を尊重し、支援する)」となっている。
中でも「変化を求めない」ということは、なかなか難しい。私たちは幼い頃から躾や教育において変化を求められ続けてきたからだ。しかし、求められて来たものに私たちは成れているのかと是非、自分自身に問うてみていただきたい。
成れている部分もあれば、成れていないところもある。そんな感じではないだろうか。例えば、「これからの時代、英語を話せるようにならないといけません」、そう国からの方針で教育を受けてきたのだが、一向に話せるようにはなっていない。話せるようになった人は、おそらく自分で自発的に変化していった人ではないだろうか。
求められる変化が、その人のニーズに合っているかどうかが鍵になるのだろう。
カウンセリングでは、クライエントのニーズを掘り下げていく。あなたはどうなりたいのだろうかと、何度も、無理のないアプローチによって問いかけられる。しかし教育は往々にして「こうあったほうが良い」という「理想の形」があって、それは変化を求められる側のニーズとは関係なしに、ときに押し付けられる。
たまたまニーズにあっていれば受け入れられるだろうし、合っていなければ撥ね付けられる。もし、ニーズを相手の中に作っていこうと巧妙に仕組むのであれば、それは洗脳である。最も恐ろしい人格操作だ。
教育はどうあるべきなのか。問いは深まるばかりである。