from 一心塾 ー 心身教育研究所 ー

カウンセリング、フォーカシング、仏教、ヨーガ

心の非暴力

 ヨーガの根本経典と言われる『ヨーガ・スートラ』にはヨーガの修行の8段階が示され、その最初の段階として禁戒が説かれます。

 禁戒は5つあり、その最初が「非暴力(アヒムサー)」です。有名なガンジーの非暴力によるインド独立運動は、ヨーガにおいて最初になされる修行が取り上げられたわけです。

 非暴力は身口意(しんくい)に渡って行われなければなりません。つまり体による非暴力、言葉による非暴力、心による非暴力です。

 ある程度意識の高い人なら、言葉の暴力を厳に慎んでいることでしょう。では心の暴力はどうでしょうか。これは腹が立つことがあっても、相手に対して暴力的なことを思わないようにするということです。

 歎異抄親鸞聖人が弟子に対して「わしの言葉に背かないというのなら、今から千人殺してこい」とおっしゃられたという話があります。弟子が断ると、「殺そうにも、因縁の備わらないものは殺そうと思っても殺せないのだ。逆に殺そうなどと思わなくても、因縁があれば殺してしまう。」といいます。

 大事なのは、暴力的な因縁を断ってしまうことです。心に暴力的なことを思っている限りは、言葉にもやがて出ることでしょう。しかし、心に暴力的なことが思い浮かんでしまうのも何かの因縁です。これを断つにはどうしたら良いでしょうか。

 仏陀は四念処経の中で、心に対する正念(マインドフルネス)、特に怒りについて次のように述べています。

「心に怒りがあるとき『自分の心には怒りがある』と気づき、怒りがないとき『心に怒りがない』と気づく。怒りが生じ始めたとき、それに気づく。すでに生じた怒りを放棄したとき、それに気づく。すでに放棄した怒りがそれから後にも生じないとき、それに気づく。」(ティク・ナット・ハン『ブッダの<気づき>の瞑想』山端法玄・島田啓介訳、p148)

 このように怒りに気づくときに、暴力の因縁を断つことができると言えます。心に怒りやそこから発生する暴力的な思いが無いとき、心はとても穏やかで心地よい状態を維持することができます。

 ちなみに親鸞聖人は、悪いことができないのは、その人に善悪の判断が備わっているからではなく、阿弥陀仏の本願の不思議な働きによる、と信心の立場から説かれています。怒りに気づくときに、その怒りが消えていくのは、確かに不思議な力が働いている感じがします。フォーカシングの立場から言えば、それは「言語化による心の質的変化」ということになります。案外同じことかもしれないと思ったりします。