from 一心塾 ー 心身教育研究所 ー

カウンセリング、フォーカシング、仏教、ヨーガ

集中瞑想とマインドフルネス瞑想

 お釈迦様は釈迦族の王子の身分を捨て、出家されてから有名なヨーガの先生の下で修行を積まれました。そこではヨーガの正統な修行法である集中瞑想を教えられました。

 何かの対象に集中していると、最初は「“私”がその対象に集中している」という状態(ダーラナ)であったのが、次第に“私”と対象とが一体化してしまいます。この一体化状態を「サマーディ(三昧)」といいます。集中と三昧の中間の段階は「瞑想(ディヤーナ)」と呼ばれ、「ディヤーナ」は中国で音訳されて「禅那(ぜんな)」となり、縮まって「禅」となりました。

 お釈迦様は優れた集中力で、すぐに先生の教えを修得し、自由自在にどんな三昧にも入れるようになりました。しかし、そこで満足することなく、さらに高い境地を目指されました。そこで取り入れた修行法がマインドフルネスです。

 それまでの集中瞑想では、集中の対象が「存在する」ことが前提だったのですが、よくよく観察してみると、対象は「存在する」のではなく、縁によって成り立っていることがわかってきました。このことを「無我」と言います。そして、物事は現れては消滅していることもわかってきました。このことは「無常」と言います。マインドフルネスによって、無常・無我を体験的に理解できるようになるというのです。

   例えば「怒り」という感情を対象にしたときに、怒りに集中すると、怒りは増すでしょうが、怒りをただ眺めるようにしていると、やがて消えてしまったり、怒りが「寂しさ」に変化したりするかもしれません。消えたり変化したりする様子をそのまま眺めているのがマインドフルネスです。

   最近では、マインドフルネスが強調されて、集中瞑想はあまり取り上げられなくなりました。しかし、マインドフルネスの前にしばらく集中瞑想を取り入れるのは、マインドフルネスのためのウォーミングアップになって良いこともあると思います。

  とくにヨーガをおこなうときは、伸ばそう(縮めよう)と狙った筋肉にきちんと集中し、その筋肉と一体化するほどの状態になれば、自在に筋肉を操れるようになることでしょう。また、呼吸法のときも、例えば息を尾てい骨に入れる、吐きながら背骨の中を尾てい骨から頭のてっぺんまで気を流すなどに集中して行うと良いでしょう。すると、その後にマインドフルネス瞑想を行うことが、非常に楽で、心地よい感じがすると思います。