from 一心塾 ー 心身教育研究所 ー

カウンセリング、フォーカシング、仏教、ヨーガ

フェルトセンスは「空」・・その2「マインドフルネス」

 前回は、フェルトセンスはからだにおける「雲」だけを指しているのではなく、「大気」全体を指していることを述べた。ただし大気全体を「フェルトセンス」と言うためには、全体をまんべんなく意識できている必要がある。その状態を「マインドフルネス」という。最近急速にもてはやされるようになった言葉だ。文字通り意識を全身に満たしている状態である。そしてからだに起こっているあらゆることに気づいている状態である。何かを考えたとしたら、「今何かを考えた」と気づいている。何気なく尻を掻いたら、「いま尻を掻いた」と気づいている。実は“何気なく”なんてことはマインドフルネスのときはあり得ない。すべてに気づいているのだから「尻を掻きたくなった」と気づくことはあっても、それが行動に移ってしまってから気づくようでは遅い。

 マインドフルネスはじっとしているときだけの状態ではない。ゆっくりした動きであれば、その動きを意識できる。例えば歩くときの身体の自然な動きを意識する。意識的に動くということではない。身体の内側から生じる自然な動きを意識によってトレースしているのである。変な癖の付いた歩き方をしている人でも、マインドフルに歩けば次第に美しい歩き方に変化していくことだろう。それは既製の美しい歩き方に矯正するということではもちろんない。一歩一歩あるく、その瞬間の筋肉の協働と路面の状態、周りの様子など内外のすべての状況にフェルトセンスが反応して最も理に適った一歩が踏み出されるという美しさである。からだが何の妨げもなくそのように反応している様子をきちんと観察できていることがマインドフルネスであり、またそのように観察できているとき、変な癖から抜け出せる。