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from 一心塾 ー 心身教育研究所 ー

カウンセリング、フォーカシング、仏教、ヨーガ

フェルトセンスは「空」・・・その1

空(そら)の話からしよう。空は大気に満たされている。気温や気圧、上空の風、海の温度、季節、前線など非常に複雑な条件の下に今日ただいまの天気が成され、我々はそれを体験している。

 私たちのからだの中にも同様の「大気」が満ちている。その大気は生きている私たちのからだの中で外的な条件、内的な条件に反応して雨をふらしたり、風を吹かせたりする。そう「こころの天気」である。からだを満たしている「大気」のことは、やはり「気」と呼ぶのが相応しいのだろうが、「元気」「やる気」「気配り」など、あまりに日常語として流通している言葉を使うことはせず、「フェルトセンス」と呼ぶことにしたい。

 フォーカシングをある程度勉強された方なら、ここは「体験過程(experiencing)」と呼ぶべきところと思われるだろう。この二つの用語は同じはたらきを指しているのだが、「体験過程」は意識されないところではたらいており、「フェルトセンス」はそのはたらきが意識されている。
 呼吸を例に取ればわかりやすいだろう。意識していなくても呼吸は為されているが、我々は呼吸というはたらきを意識することもできる。また、意識することで呼吸の仕方を変えることができるように、フェルトセンスも意識されたことによって影響を受けることになる。というわけで体験過程とフェルトセンスは同じはたらきだが、少しの違いがある。これからの話は、からだを満たしているはたらきについての話であるのだから、当然それについて意識が及んでいる。だから「フェルトセンス」と呼ぶ必要がある。

 フォーカシングの学びは次のような問いかけで始まる。「からだにそっと注意を向けたときに胸やおなかにどんな“感じ”がありますか。そしてその“感じ”は、どんな具体的な状況を反映してのものなのでしょうか」。あるいは逆に、「今直面しているある状況を思うときに、どんな“感じ”がからだに生じてくるのでしょうか」。この時の“感じ”が「フェルトセンス」であると教わる。
 そのフェルトセンスは、天気で喩えれば「雲」であろう。雲は大気の一部だが、大気そのものではない。からだを満たしているはたらきに対して敏感になるほど、雲だけをフェルトセンスと呼ぶわけにはいかなくなる。すっと吹き抜けるさわやかな風、湿って重たい空気、朝焼けの彩り、それらすべてがフェルトセンスであり、我々に対して何らかの示唆を与えてくれている。