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from 一心塾 ー 心身教育研究所 ー

カウンセリング、フォーカシング、仏教、ヨーガ

罪悪感

 罪悪感というのは、誰かの期待に応えていないのではないか、誰かの怒りを買っているのではないかという漠然とした不安ではなかろうか。その誰かが自分の「つながり対象」(甘え論における第一渇望)であるなら、罪悪感は深いだろう。つながりへの渇望が満たされていない感じを持つのは非常に不安なものである。
 所属する場(あるいは“世間”)の期待に応えておらず、怒りも買っているかもしれないと思うときは罪悪感というより「後ろめたさ」とでもいうべき感じだろう。これは甘え論における第二渇望である「受容への渇望」が満たされていない状況だ。

 罪悪感や後ろめたさを持てばうつ状態を呈しやすいことは容易に想像できる。

 私たちは“あるがまま”の状態でつながりも受容も、そして第三渇望である「理解」も得られる。つまり甘えが満たされる。これは非常にスピリチュアルな理由でそうなる。しかし罪悪感や後ろめたさを持つ人は、「あるがままではだめなのではないか」という考えに囚われている。だから無駄に努力するのだ。そして虚構の自分を作り上げもする。しかし罪悪感は消えない。

 「私はそのままで赦されている」と繰り返し思うことは一つの方法だろう。しかし本当に誰かの赦しを乞わなければならない人は、相手の赦しに期待するのではなく(これも甘えているということ)、きちんと謝らなければならない。