from 一心塾 ー 心身教育研究所 ー

カウンセリング、フォーカシング、仏教、ヨーガ

人間関係の境界

 「自分」という境界を持つ一人の女が、やはり「自分」という境界を持つ一人の男と出会う。その接点において両者の自我がせめぎ合い、お互いの考え方や性格が明らかになる。
 しかし二人は次第に惹かれ合い、二人の境界は曖昧になっていく。二人は「二人で一人」という感覚を体験する。仲が良いとは、つまり互いの間の境界が曖昧になって相手を「自己」として体験できていることなのだ。そのとき彼の痛みを彼女は自分のことのように感じることができる。共感し合う関係が成り立っている。
 しかし多層的な自己を持つ人間は、ある層(例えば映画が好きという趣味の層)において相手と共感できていても、別な層(一人は経済観念が甘い、一人はケチ)においてはしっかり互いの間に境界が存在するという事態が生じる。
 境界は存在してもいいのだ。むしろはっきり境界を把握して、それを乗り越えるべく工夫すること、それが生きているということではないか。一人で乗り越えられず四苦八苦している人に最小限の援助をして乗り越えるのをサポートする、それが手取り足取り法である。
 人間対人間の境界は、お互いに相手に変化することを求めてしまうところに難点がある。その不毛さに早く気づいて、相手が乗り越えられないでいる境界を見極めてあげよう。そして手を貸してあげよう。
 また自分が乗り越えられないでいる境界を認識して、誰かに手を貸してもらうよう頼んでみよう。