仏教
コロナ禍でお休みが続いていますが、哲学カフェを2年ほど島根大学の川瀬先生(現在は神戸女学院大学教授)と一緒に開催していました。 「なぜ人はウソをつくのか」とか「<お金>ってなんだろう」とか、わかっているようで実はよくわかっていないテーマにつ…
明けましておめでとうございます。今年も一心塾だよりをよろしくお願い申し上げます。 四つの聖なる真理 年末からディビッド・ブレイジャー氏の『フィーリング・ブッダ』(藤田一照訳)を読んでいます。仏陀が最初に説法した四聖諦(ししょうたい)について…
雑念は、悪者扱いされることが多いですが、自然に出て来るものに善悪の価値付けなどするから、「集中できない!」などと、イライラの原因になってしまいます。「よく出てきてくれました」と、大事に受け止めてあげるのが「雑念を活かす瞑想」です。雑念は心…
前回はネガティブ思考やポジティブ過ぎる思考の止め方について書きました。簡単に言えば、「この思考は現実認識を歪めている」と気づいて、呼吸にしばらく集中することで平常心に戻るよう日々練習するのみです。 やり方は簡単ですが、私たちはそのような思考…
ヨーガの根本経典と言われる『ヨーガ・スートラ』にはヨーガの修行の8段階が示され、その最初の段階として禁戒が説かれます。 禁戒は5つあり、その最初が「非暴力(アヒムサー)」です。有名なガンジーの非暴力によるインド独立運動は、ヨーガにおいて最初…
お釈迦様は釈迦族の王子の身分を捨て、出家されてから有名なヨーガの先生の下で修行を積まれました。そこではヨーガの正統な修行法である集中瞑想を教えられました。 何かの対象に集中していると、最初は「“私”がその対象に集中している」という状態(ダーラ…
ダライ・ラマ法王の来日講演をネット中継で見ていましたが、法王は脳科学や物理学(特に量子力学)と意識の関係に非常に興味を持っておいでのようでした。科学者との対話はずっと続けていらっしゃるようです。 昔、宗教や占いが力を持っていたのは、「得体の…
「あの人には自我の強いところがある」という言い方には、少し否定的なニュアンスがあります。「我が強い」とも言います。「自分にこだわりがあって、他者を受け入れることができにくい」という意味に使われていると思います。そこから「自分にこだわりがな…
浄土宗や浄土真宗では、死後は、この上なく清らかな極楽の国、「浄土」に生まれる事になっていまる。これを「往生」といいます。キリスト教では死後は天国に生まれるといいます。同じ発想といってよいでしょう。生前の行いが悪ければ地獄に生まれるという脅…
秋本番ですね。リンゴ、栗、柿、ピオーネ、色とりどりの果物が店先に並んでいるのを見るだけで幸せを感じます。僕は食べ頃のキウイを二つ買い物かごに入れ、明日の朝食の満足感を想像します。 「僕はキウイが好きだ」と思うとき、僕はキウイが好きな「自分」…
瞑想のときにでてくる様々な想念は、マインドフルネスを保つには邪魔になるけど、無視するにも忍びないという思いがあって、大変難しい問題だと感じてきました。しかし座禅や瞑想の専門家がこれについて言及しているのを滅多に目にしません。つまり想念は「…
ある校長先生と、「自己肯定感の低い子どもが多いね」なんていう話題から、「ところで自己肯定感と自己有用感と自尊感情とどう違うの」という話になり、確かに言われてみると微妙に違うんだろうなと考えているうちに思い至ったことがある。 そもそも仏教では…
メメントモリとは「いつか死ぬことを忘れるな」という意味のフランス語です。30年前に私もインドでヨーガの師に言われたことがあります、「自分の葬式のことを思え」と。それから仏教僧になったこともあって、死のことはずっと思索を続けてきました。そして…
マインドフルネス・ヨーガでは、アーサナ(ポーズ)を行うときに、最初に刺激のあるところの感じに気づくようにします。たとえば図の前屈のアーサナでは、膝の裏、太ももの裏、腰などに刺激がありますので、最初は自然とそこに意識が行きます。頑張って伸ば…
この3月に創元社から『マインドフル・フォーカシング』という本が出た。アメリカのフォーカシング指導者でチベット仏教に造形の深いDavid Rome氏が満を持して著した本だ。私のフォーカシングの師匠である日笠摩子先生と友人の高瀬健一氏が訳してくださった…
「十牛図」をご存じだろうか。禅の悟りのプロセスを表すとされている。 これにヒントを得て、マインドフルネス・ヨーガ流に瞑想の方法を犬の散歩の様子に喩えて説明してみよう。 飼い主Aは道草したがる犬を無理に引っ張り飼い主に従わせようとする。 飼い主…
昨年、長野県の戸隠での「フォーカサーの集い」にて「フェルトセンス再考」というタイトルで出店したところ15名ばかりの方がおいでくださり、熱い議論が展開した。続く大正大学で行われた日本人間性心理学会でのシンポジウム、「仏教と心理学が学び合う」で…
フェルトセンスは二つの意味で捉えられている。これがフェルトセンス理解の混乱を招いている。 フォーカシングに長年親しんでいる人は「状況に対するからだの反応」をフェルトセンスと捉えている傾向があり、割と経験の浅い人は「からだに感じられる違和感」…
「フェルトセンス=空(くう)」とするためには、仏教側から空について解説する必要がある。 空とは実体がないということ。諸条件が織り成されることで現象として何かが現れたりもするが、条件が変わればまた消滅する。まさに空(そら)に浮かぶ雲のごとしで…
前回は、フェルトセンスはからだにおける「雲」だけを指しているのではなく、「大気」全体を指していることを述べた。ただし大気全体を「フェルトセンス」と言うためには、全体をまんべんなく意識できている必要がある。その状態を「マインドフルネス」とい…
空(そら)の話からしよう。空は大気に満たされている。気温や気圧、上空の風、海の温度、季節、前線など非常に複雑な条件の下に今日ただいまの天気が成され、我々はそれを体験している。 私たちのからだの中にも同様の「大気」が満ちている。その大気は生き…